東日本大震災3・11あの日の後、数日のメールから

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こんにちわ
愛媛県、松山市の漢方自然薬わかまつ
カウンセラーの新岡和哉です


昨日は東日本大震災から9年目の3・11を迎えていました

テレビで津波の様子がリアルに放送されて、
映画を見せられているのではないかと信じられなくテレビに釘づけになっていたあの日でした

その当時東北にも数名お客様がいたのと、被災地に近いお客さんたちに連絡を取ろうとして
いまではLINEが主ですが、当時主力のSNSだったでMixiで連絡を取りました

その時、帰ってきたMixiのメールはいまだにコピーして保存しています
今日はあの時の気持ちを忘れないためにも、その返信されてきたメールを紹介します

一番心配だった津波が襲った大船渡在住だった方からの返信

「ご心配していただきありがとうございます。
私の家は大船渡でも一番海から遠いところで、地震で物が散乱し、また停電もおこりましたがその程度で済みました。」

このメールは11日の4日後に届いたものでしたが、無事を知り、ほっとしたのを覚えています

被災2日目千葉県の方

「今、市内の中学校で火災が発生したようです。日曜日ということで生徒さんはあまりいなかったようですが詳しい状況はわかりません。 
木更津は比較的被害が少ない方ですがそれでもスーパーやコンビニには水、食料が無いそうです
ニュースを見るたび涙が出てしまいますどうかこれ以上被害が広がりませんように

被災2日目茨城県の方

「息子達は元気です。喘息もちの次男もゼーゼーしてません。
ただ私が違う部屋に行ってるとママどこ!と大騒ぎ、怖がりになっています。
お米はあり、水も近くの公園の水道が生きてたので手に入ります。
お米と水があればご飯炊けるので食料は今のところ問題なさそうです。
そんな感じで、今のところ元気に過ごせてます!ご心配ありがとうございました。」

 

「安否確認はできたものの、まだ旦那の両親とは話せてない状態です。きのう義父から義妹さんへ電話がようやくつながって、
昨日は給水場所まで水をくみに行くと言ってたみたい、電気、水、ガス全てまだ当分復旧は難しいようです。
旦那の仲良い友達とも今日やっと連絡がつきました!
地震が起きた時、幸い何も倒れなかったけど、タンスのそばで子供と昼寝してました。
すぐ気づいて外に逃げたけど、万が一を考えるとほんとに怖い。
家族、住む家、仕事を無くした方々に比べたらこっちはなんて幸せか……」

 

 

あれから9年です